欠落している感覚。
2007年8月31日(金) 天気、晴れ。
川崎にて実測。
8月も終わり。
「ネタ」で買ったこの本↓

本題に入る前の第1章には「森巣博」のことが書かれております。
さらにその「森巣博」が影響を受けた作家の名前も書いてあります。
このことをふまえて著者 永江氏は「残る本というのは、単独では存在しない。残る本とは、必ず他の誰かに影響を与えずにはいられない本であり、また、何かに影響された本である。常に誰かに参照される本である。残る本は独立してあるのではなく、常に網状のネットワークのなかの結節点として存在する、そうした本なのではないか。逆に言うなら何にも影響を与えないであろう本は、消えていくのだ。」と。
この文章の「本」を「サイト」または「ホームページ」に置き換えればそのままそれがGoogleのページランクの評価になり、検索結果になって現れます。
私のサイトも影響を受けた結果であり、さらには影響を与えたから施行の依頼という形で現れます。
さらには、もしかしたら上の文章は「本」のところを「人」にも置き換えられるのでは・・・?
(私が影響を受けやすい人間なのかもしれませんが)
余丁町散人の隠居小屋では「永井荷風」を良く取り上げており興味を持ち読んだのですが、どうしても「凄い!」という感覚が無いのです。
思い返せば中学生2年のとき、はじめて読んだ「夜間飛行」サンテグジュペリが凄すぎたのかもしれません。
大げさに書けば人格形成そのものに影響を与えた本です。
その後に読んだ本・小説は読み物としておもしろかったという感じしか受けることができません。
さらにそのおもしろさでも、「永井荷風」なら小説の「墨東奇譚」「アメリカ物語」「フランス物語」より、ただの日記の「断腸亭日乗」の方がおもしろいと感じているのです。
三島幸夫や芥川龍之介等も読んだのですが、どうにも私には「欠落している感覚」でよくわからないのです。残念です。
しかし読むのです。
時間 26時20分
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