2025年3月13日(木)休み、東海道を歩く、横浜駅近場のみ 坂本龍馬の妻「おりょう」が働いた「田中屋」
2025年3月13日(木)天気 晴れー快晴で初夏の陽気
青木橋を超えて横浜駅西口側へ行きます。
同じく「青木橋」の上から横浜駅方向を進んで
休み
皆様がお参りする前にさっさと。
いつものことです。
神奈川県横浜市内の市営三ツ沢墓地に。
期間中は交通規制も行われます。
その前にお参りしています。
その後はイオンスタイルで買い物。
お昼ごはん後はウオーキング
自宅からまずは横浜駅の東口を目指します。
京急「神奈川駅近く」
いつもはここでUターンしますが。
正面には「本覚寺」があります。
横浜駅周辺の埋め立ては
この本覚寺あたりに居を構えて行ったそうです。
お名前は「高島嘉右衛門」氏
以前本も読んだ記憶があります。
東海道を歩きます。
この道は「ブラタモリ」でも取り上げられたり
横浜の歴史の本の中や資料にも出てきます。
料亭?もあります。
「滝川」!
詳しい説明もあります。
神奈川宿
袖ケ浦
たどり行くほどに金川の台(神奈川台町)に来る。
ここは片側に茶店軒をならべ、いづれも座敷二階造、欄干つきの廊下、桟(かけはし)などをわたして、波うちぎはの景色いたってよし。
十辺舎一九
「東海道中膝栗毛」より
絵hが東海道五十三次之内神奈川
安藤広重作
とあります。
道の左側は波打ち際の海です。
もう1軒紹介「田中屋」様
神奈川宿
神奈川宿は日本橋をでて三番目の宿場町です。
現在の台町あたりは、かつては神奈川湊を見おろす景勝の地でした。この神奈川が一躍有名になったのは、安政元年(1854年)の神奈川条約締結の舞台となってからです。その4年後に結ばれた日米通商条約では神奈川が開港場と決められていましたが、後に横浜に変更されました。
田中屋
神奈川宿がにぎわった当時から続く唯一の料亭が、文久三年(1863年)創業の田中屋です。
田中屋の前身の旅籠「さくらや」は安藤広重の「東海道五十三次」にも描かれた由緒正しき店名です。高杉晋作やハリスなども訪れました。
坂本龍馬の妻「おりょう」
「おりょう」が田中屋で働き始めたのは明治7年。勝海舟の紹介で働いたと伝えられています。
英語が話せ、月琴も弾くことができた「おりょう」は外国人の接待に重宝されていました。
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神奈川台の関門跡
説明もあります。
「ここよりやや西寄りに神奈川台の関門があった。開港後外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックをはじめとする各国の領事たちは幕府を厳しく避難した。
幕府は前世六年(1959年)横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化した。
この時神奈川宿の東西にも関門が作られた。そのうちの西側の関門が神奈川台の関門である。明治四年(1871年)に他の関門・番所とともに廃止された。」
とあります。
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更に進むと
洪福寺の交差点です。写真の左奥に建物が見えます。
このほんの少し先でドリフターズの仲本工事さんが交通事故でなくなれています。合掌。
もう少し先まで行くと保土ヶ谷宿ですが・・・ここからは自宅へ。
ほぼ1時間30分ほど歩きました。
いい運動になりました.
軽く汗もかきました。
夕方は奥さんと散歩。
夕食をとりバイクも漕いで
さっさと寝ました。
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